木を見て感じたこと(代表弁護士 田中今日太)
こんにちは。
弁護士の田中です。
私は公園にいってリラックスをすることがあります。
その日は,なんとなしに,一人で公園に行きたいと思いたちました。
朝の9時ぐらいでしょうかね。
青空の下太陽が差し,冬の張り詰めた空気をやや暖かくしてくれてるような日でした。
昨日は雨だったのか,地面は多少濡れていましたが,気になるほどではありませんでした。
冬はどうしても室内の生活が多くなっていたので,新鮮な空気が吸いたいと思ったのです。
コンビニでパンとジュースを買って,一人で公園のベンチに座って食べていました。
公園を散歩される方や犬の散歩をされる方がほんの少し通りすがっていきました。
太陽の光とややも冷たい空気は,室内で溜まった私の頭のモヤモヤを消して,
頭の中をクリアにし,頭や身体の感覚を冴えわたらせてくれていました。
「朝からめちゃ気分ええな~」と思っていると,公園の「木」に目に入りました。
葉が落ちて丸裸になっている木もあれば,冬でも葉がそのままきれいに残っている木もありました。
それぞれの木を見つめていると,そういえば,「光合成」ってあったよなと思いました。
光合成は,主に植物の葉(緑)で行われています。
太陽の光が差し,植物は二酸化炭素を吸い,酸素を出してくれます。
山に行けば,新鮮な空気を吸えると感じるのは,植物が新鮮な酸素を出してくれているからです。
葉の落ちた木を見ながら,葉の落ちた木は緑がないから,光合成はしないだろうな,と思いました。
(なお,このブログを書くので調べてみると,「落葉樹」というらしく,光合成はしない(ORほぼしない)とどこかのサイトに書いてました。)
私は,葉の落ちた木を見て,冬を越す間は,自分の役割をいったん終えて,休んでいるんだ,蓄えているんだ,と感じました。
他方で,葉がそのまま残っている木もありました。
(これを常緑樹というそうです。)
常緑樹は,冬の間でも一年中光合成してくれます。落葉樹は,冬は光合成しませんが,春以降になると光合成が活発になります。
もしも,常緑樹がこの世になかったとしたら,光合成は十分に行われことによって,四季があるような,特に冬の季節のあるような地域って,
酸素不足になったりしないのか?なんてことを考えました。
私は,植物にとってはしんどいはずの冬の間でも,光合成をしてくれて酸素を出してくれてるんだな,と思ってなんとなく感謝したい気持ちになりました。
そして,その木に近付いて葉を見てみると,細かい葉脈が見えました。
大きな木であっても,これが成り立つためには,「細部」まで厳密に成り立っているのだなと思いました。
そして,落葉樹のことをもう少し調べてみると,落葉樹は,冬こそ光合成をしませんが,それ以降の光合成を活発にするので,一生の間には,二酸化炭素の吸収量が常緑樹より多くなるそうです。
つまり,常緑樹は「安定して常に」,落葉樹は「やるときはめっちゃやります」といったイメージでしょうか。
経営をしていると,ニーズが安定している分野があることを感じます。
逆に,時期やタイミングによって,ニーズが増えたり少なくなる分野や仕事もあります。
まるで,常緑樹と落葉樹のように。
「常緑樹」と「落葉樹」の両方が「地球」にとって必要です。
同じく,常にニーズがある分野も,ニーズが増えたり少なくなる分野も,困っているクライアントがいます。
ですから,我々弁護士は,困っているクライアントの方のために,両方とも対応できる必要があると思います。
ところで,「大きな木」も,大きいからといって「雑」なわけではなく「細部まで全て厳密である」ことで成り立っています。
葉に葉脈がなければ,葉に水分が行き届かず葉はなくなります。木がいくら大きくて細やかな葉脈がなければ,木は成り立ちません。
ロイハイも人数が増えてきましたが,だからと言って,「おおざっぱ」であったり「雑」であったりするのではなく,
「細部まで厳密に成り立つ」
「それぞれのメンバーがそれぞれの個性と才能に応じた役割を果たす」
そうしたことによって,一つの大きな木を造っていこうと感じた日でした。